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しなやかな日々のお便り


by gitanjali
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JICA海外移住資料館

桜木町にあるJICA海外移住資料館に行ってきました
http://www.jomm.jp/

① 日本の旧植民地に移住した人々の資料も展示して欲しい

 米国において黄禍論(Yellow Peril)が強まり、日本人移民が排日移民法(Oriental Exclusion Act, 1924)によって米国への門を閉ざされてから、日本政府(戦前の拓務省、JICAはこの組織から発展)は南米ブラジルや、台湾・朝鮮・満州・南太平洋などの植民地に日本人を移住させていた。

 私の祖父も小学校を卒業してから、満州に働きに行っていた。
 戦後になると、植民地から日本人移民は退去したが、海外移住していた時期があったという事実を海外移住資料館でも展示して欲しいと思った。


② 「支那」は差別用語でないことを再確認

 海外移住資料館で展示されていた、米国に移住した日本人移民が経営するお店のチラシに「支那料理」と書いてあった。

 (Wikipedia の情報を自分が理解できるように英語名称とともに整理すると・・・)
日本では、明治政府が清朝と国交を結んでからは、国号を「清国」(Qing Dyansty, 1644-1912)、その国民を「清国人」と呼称した。辛亥革命(Xinhai Revolution, 1911) によって成立した共和国が「中華民国」を国号として採用した時、日本政府は「『中華』には自尊自大の気がある」として共和国を「支那共和国」と称することを定めた。しかし、汪精衛政権(Nanking Government, 1927~1949)への配慮から「支那共和国」にかえて「中華民国」を用いるようになったのである。

嫌中派が「中国」を嫌い「支那」を使うことにより、「支那」が差別語とみなされたり、「支那」、「支那人」という言葉がほとんど死語となったりしているのは残念だと思う。
by gitanjali | 2009-03-15 00:00 | 【想】起こったこと、感じること